3年目くらいまでの弁護士向け実務刑事弁護の覚書


by lodaichi

高岡健「人格障害論の虚像」

高岡健「人格障害論の虚像」を読む。
高岡医師の著作は、文章としては読みやすいが、 内容は挑戦的。すごく考えさせられる。

この著作の問題意識は、精神科医が「人格障害」と診断してしまっているが、そしてそう診断するのが当たり前となってしまっているが、その当たり前なことがそれでいいのかという問題意識である。

「人格障害」という診断がされることが当たり前になってきているが、それは「人格障害」と診断されたその人を排除する論理として作用しているのではないかという問題意識。

「人格障害」というレッテルを貼って、その障害が悪いんだ、その人個人の問題だとなってしう、それが問題ではないか。
社会として関わりを持とうとする方向に進めなければならないのではないかと。

つまり、
大切なのは、その人と社会とのコミュニケーションなのだ。

そもそも、人格障害といったところで、症状というのは、固定的なものではないし。流動化する側面を忘れてはいけない。

肝心なのは、コミュニケーションの回復。
コミュニケーションを回復するために、人格「障害」と診断する必要はない。
その人の「人格」と評価すれば十分。

以上は、私が高岡医師の本を読んで感じたことだ。

人格障害という診断だけで、刑事弁護人としては思考停止に陥ってしまうのではなく、そこを手がかりに被告人にアプローチを続けることが必要だ。

次の言葉は、高岡医師の言葉。

「人が不幸にして犯罪に至った場合、それは人格の危機の表現に他ならないから、危機に陥る条件を分析し、そこから脱出するシステムを構築する必要がある」

おそらく高岡医師は、精神科医のためにこの言葉を発したのであろうが、これは刑事弁護人にも大いに参考なる言葉だ。
いや、情状弁護の要諦といってもよいかもしれない。
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by lodaichi | 2011-08-01 22:18